責任追及より原因追究

【ええことばやなあ】

悪人を憎むような善人は、
  
まだ実力にない善人である
  
             (清沢 満之 初代大谷大学学長)



【ニシグチのそれなり考】 


「犯人は誰だ!」〜責任追及から原因追究へ〜


この国の人たちは、

つくづく犯人探しが大好きで、

責任追及をしたがるようにできているらしい。



大きな事故や事件がおきれば、

週刊誌、ワイド番組、討論番組、

あげくに国会までもが犯人探しと責任追及に明け暮れるのである。



少しでも見識のある人なら、「責任追及」より

「原因追究」の方が比べものにならないぐらい

大事だと思っているはず。

(ニシグチも原因追究派と自覚しているつもりですが、、、)



週刊誌の記者、ワイド番組のコメンテイター、

討論番組の出演者、そして国会議員。



これらの人たちは、

少し考えれば、

責任追及に時間や精力を費やすより

原因究明が大事なのは、わかっているはずである。



その程度の見識はあると思いたいのですが、、、


ではなぜ、責任追及に終始するのかってことを考じてみたい。



簡単です。


誤解を恐れずに言います。


「面白い」からです。


犯人が事件を引き起こすまでの心の闇を根気よく解いていくより、

事件の悲惨さ、被害者の無念、犯人の残虐性に力点をおく方が

「面白い」んです。



事故にしてもそうです。

なぜ、事故が起こったのか。

原因を究明して、

対策をどうするか。


これらにあまり時間をかけません。


1)被害者の家族までひっぱり出

して無念さを訴える。


2)犯人を探し出して、

残虐さを何度も報道する。


この二つをセット販売する方が圧倒的に

大衆の興味に答えることができるのです。


そう言えばニシグチの友人、「失敗のメカニズム」を

専門にしている大学教授がふと漏らしていました。


「国から『事故の調査』を依頼されたとき、

私たちは事故が起きたメカニズムを究明することに集中したいのに、

市民の要望は責任者追及にあるようだ」と。


報道する側にとっても、

原因究明の重要さを、

わかっていても

視聴率のためには、

大衆の興味や好奇心に

応えなければならないジレンマが

あるのだろう。


そこで、「それなり考」からの

提案です。


原因追求の重要性とある種の面白さを

わかりやすく話せる人材を発掘していきましょう!


たとえば、池上彰さんのような

たとえば、サンデル教授のような。


テレビ局の制作の方にぜひ、言いたい。




責任追及から原因追究へ!


以外と視聴者は今、「アカデミック」な番組を求めていますよ!と。