「こころ」の元気

【ええことばやなあ】

難が無いは、「無難」

難が有るで、「有り難う」

あなたは、どっちの人生がいい?


【ニシグチのそれなり考】 

<どうして「心」が元気に?>



ニシグチ、なぜか最近元気だ!

疲れないんです。




「体」ではなく「心」が疲れないんです。


体は当たり前のように、直ぐに疲れるし、


無理がぜんぜんきかなくなってきてます。


ちょっと山歩きでもしたら、

筋肉痛は、一週間も続くし、


しかも、2日目ぐらいからそれが始まるし、、、。


でも「心」と言うか、精神的には


逆に疲れにくくなってきているのです。


なぜ?



またまたニシグチ、その原因究明に血が騒ぐんです。


結論からいいますと原因は、「目上・目下」文化に


あるような気がしてならないのです。


50才を超えたぐらいから、感じ始めたのですが、

年々、精神的疲労がたまりにくくなってきています。

還暦を過ぎた今、確信的に自覚できます。



で、「目上・目下」です。



「目上の人を敬いなさい」

子どものころから、知らず知らずのうちに

徹底的に刷り込まれた言葉です。



小学校時代の先生、


法事などで顔を合わす見慣れない親戚、


本家に毎月お参りに来る坊さん、


道で声をかけてくるおまわりさん、、、、
 


 すべて、話しかけられると緊張してドキドキしていた記憶だ。

(今のニシグチからは、想像できないって、、、
                 ほっといてくれ!)



極めつけは、中学時代からの野球部です。


俗に言う「体育会系」にどっぷり浸かってしまったんです。


12才そこそこのあどけない


ニシグチ少年の人生に「敬語」文化が侵入してきました。


けっしてこの国の文化でもある尊敬語や謙譲語、丁寧語を


否定する気は、毛頭ありません。


ただ「目上」や「目下」の概念には、

目上からは「上から目線」が、

目下からはある種の「ストレス」が

もれなく付いてくるのです。




さて、「最近、ニシグチの心が疲れない」に話を戻します。


還暦ぐらいになりますと、


ボランティアの集まりや経営者交流会では、


8割以上のメンバーが年下になります。


ニシグチを目上として接してくれるのです。


結果、緊張されることはあっても、

こちらがストレスを感じることは

ほとんどなくなってきたんです。



つらつらと「心の元気」の原因を


それなりに考じてきましたが、


「だから、どうするニシグチ」を内省しなければ


「ニシグチのそれなり考」にはなりません。




「目上を敬いなさい」に潜む「目下への差別」。




歳を重ねただけで感じる「心の元気」に浮かれるな!



若者が本音で発言できる環境・雰囲気作りが


年寄りニシグチの使命だ!