防犯カメラは、神様です


現代は、いたるところに防犯カメラが設置してある。

 
ターミナル駅には、数百台のカメラがあるそうです。


犯罪捜査に、威力を発揮しているのは間違いないところだ。



さて、
本来人間として、
だれが見ていようが、見ていまいが、
悪いことをしてはいけません。
     ってことは子供でもわかる理屈です。


 
ところが、だ。
ついつい「だれも見ていないから、まあいいか」ってことで
プチ犯罪やマナー違反を犯すことになってしまいます。


 
少なくともニシグチは、


幼稚園時代のカエルの虐待に始まって


小学校時代、神聖な神社での立小便
      気になる女子宅のピンポンダッシュ


高校時代、キセル乗車や喫煙


成人してからも、タバコのポイ捨て
        クルマのスピード違反


たぶんトータルすれば、禁固5年は免れられないのでは、、、、。



「いまさら何を、、、」って、
神様に怒られるのはわかってはいるんですが、
このごろ無性に思うんです。



できればそんなすべての犯したプチ犯罪を総懺悔して
これからの人生、誰も見ていなくても、
マナー違反も含めて一切の「悪行」をしないで
生きてゆきたいと心から願うんです。



勝手なもんで、心底それを願っておきながら、
100%それができるか、
残念ながらニシグチ、自信がないのです。


 
「誰も見ていなくても神様が見ている」
で解決できればいいのですが、
「つい、赤信号で道路を横切った」
などプチ犯罪を犯してしまいそうになる。



さあそこで、防犯カメラの存在の活用なんです。



誰がどこで何をしてもお見通しなのが神様です。
最近の「防犯カメラ」もなんせ一駅構内にでも数百台です。



「神様」「防犯カメラ」ぜんぜん違いますが、
いまどきの防犯カメラの「お見通しパワー」は、
神様クラスです。
いやそれ以上です。
裁判で証拠にもなるんです。



街で防犯カメラを見かけたら(注意すれば、簡単に見つかります)
合掌しましょう。
人目がある場合は、心で唱えましょう。
「私を悪行からお守りください」



そんなことで、かっこよい人生を送れるんなら
たやすいことです。




昔の友人が
「ニシグチ、お前 心入れ替えたんか? 
 こないだ道で吸殻 拾ってんの見たで。
 むかしのお前から想像でけへんやんか!」



ニシグチ、心の中でつぶやきました。
「だって、カミサマ(防犯カメラ)に見られてるもん」