ニシグチの宗教論


<今日の言霊>

自分を磨け、
 もっと磨け、
 とことん磨け、
   まわりが輝くまで 


 


「ニシグチの宗教論」


ニシグチ、NPO法人 葬儀費用研究会を主宰して10年になります。





無宗教での葬儀が増えてはきていますが、
依然9割は、仏式・神式など
なんらかの宗教儀式としての葬儀が行われている。





「宗教」の存在理由について、
葬儀のNPO代表理事ニシグチとして、
それなりに発言しようと思います。





以下、ニシグチの理屈っぽい話にお付き合いください。





今から20万年ほど昔のヨーロッパ地方に
ネアンデルタール人が誕生しました。





この旧人は3万年前まで繁栄しました。
一方、現代人の祖先(新人)と考えられるクロマニョン人は、
10万年前には存在していたと考えられている。
つまり、5万年以上にわたって
2種類の人類が共存していたわけです。





石器などの研究によると
両者は相互に文化的影響を及ぼしたらしい。
しかし、3万年前を境にネアンデルタール人は姿を消してしまった。





なぜ姿を消したか、考古学上の謎になっている。
ある生物学者によると、
「利己的に振る舞う種と紳士的な種が生存競争をすると
利己的な種が生き延びる」と言うことらしい。





この話を2種類の人類に当てはめると、
新人(クロマニョン人)が利己的だったことになる。





何万年がかりの壮大な歴史に
刻まれるのは真実であろうと思います。





平たい表現するならば、
「お人よし」より「ずる賢い者」が
勝ってしまうという現実があると言うことだ。





そうなんです。
私たちは、「利己的でずる賢いクロマニヨン人」の末裔なんです。





たとえば浄土真宗の教えに
「私たちはすべて、煩悩具足の凡夫、罪悪深重の凡夫である」
   と言うのがある。





 そんな自分を自覚せよ!
 真剣に自我と向き合え!
  と気づかせてくれるのが「宗教」である。




          
「核」まで手にしてしまった人類を謙虚にさせるのは、
唯一「本当の宗教」しかないのです。





これが、ニシグチの理解する「宗教の存在理由」です。





葬儀のときのお経は、
あの世に行くための通行手形でもなく、
天国へ行くための乗車券でもないんです。






残された私たちがどう生きていくか、
亡き人を機縁としてその宗教の教えに
会わせていただくのが宗教儀式としての
葬儀式なのです。





親しいお坊さんが言ってました。
「鉄砲は、他者に向けるもの
   仏法は、自分に向けるものだ」と。