スーパーそれなり考

宗教になじめない多くの人に
ニシグチがぜひ読んでほしい詩が
3つあります。

ひょっとして「ニシグチのそれなり考」で今までも
これからも表現したいことの中心のような気がします。
少なくともニシグチは3つともに同じ臭いを感じ、
そして心が熱くなります。

1)『チャンス』by天理教分教会

「余命半年です」と言われたら
きっと ものの見方が変わるでしょう
同じものなのに
それが違って見えるということは
見ているこちらが 変わったということですね

余命半年でなくても
私たちにふりかかる病気やトラブルは
それを通して
今までの ものの見方が変わり
自分自身が変わるための いわばチャンスです

いや 実は
私自身のために 変わるためのチャンスを
神様が与えて下さったのです
物事を見る立場や 人との接し方を変え
心の成長をはかるための
貴重な時間をくださったのです

2)「苦しみを担う者の信じるところ」 クリスチャン・一患者の祈り

大事をなそうとして力を与えて欲しいと
神に求めたのに慎み深く従順であるようにと
弱さを授かった

少しでも偉大なことが出来るようにと
健康を求めたのに
少しでも良いことが出来るようにと
病弱が与えられた

幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして
権力を求めたのに
神の前にひざまづくようにと
弱さを授かった

人生を享楽しようとして
あらゆるものを求めたのに
あらゆるものを喜べるようにと
生命を授かった

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた
背ける身であるにもかかわらず
心の中の言い表されない祈りもすべてかなえられた
私はあらゆる人の中で
最も豊かに祝福されたのだ

3)「転んでみて」  浄土真宗寺院 伝道掲示版より

転んでみて人の悲しみがわかり
転んでみて人の苦しみがわかり
転んでみて人のやさしさがわかった

私は転ぶことを恐れていたが
転ぶことによって
私の人生は深まり
転ぶことによって
私の人生は豊かになった