<体罰>

【ええことばやなあ】

チャンスはしょっちゅう

ドアをノックしています

が、たいていの人が留守

にしています

     元ドジャース統括マネージャー
     ブランチ・リッキー 



【ニシグチのそれなり考】 

体罰


「駄目なものは駄目で、論理なんていらない。

 体罰は絶対服従の中で行われ、一番ひきょうだ。

 一人の命が失われた重大さを、 

 大人が、子どもたちに話さなければならない」


           桑田真澄 大阪の教員研修会で。



桑田真澄、30年ほど前から知ってはいたが、

この発言で一気に彼のファンになりました。




体罰」や「暴力」。



ここしばらく、新聞、テレビなどで

いろんな立場の人が発言しています。

どうしようか迷いましたが、

我慢できなくなりました。

やっぱり、ニシグチ語ります。



結論から述べます。



体罰」は、紛れもなく「暴力」です。



誰がいかなる理屈を用いても、

暴力は絶対に反対です。



それは、

戦争であれ、

家庭であれ、

学校であれ、

クラブ活動であれ、

伝統芸能の稽古場であれ、

職場であれ、、、だ。



17年前、長男の中学校卒業式

での話をしたいと思います。




一通りの式進行が過ぎ、

フィナーレでは卒業生が、

卒業証書と一輪の花を手に

講堂から退場してきます。



その時、ある担任の先生とそのクラス生徒の

感動的なシーンを目撃しました。



教師も生徒も涙、ナミダで抱き合い

別れを惜しんでいるのです。



その教師は、

あるときは生徒と一緒になって遊び、

ある時は鉄拳で生徒を殴りとばす、

そんな熱血指導が有名な先生でした。



ニシグチ不覚にも、

もう少しで涙腺がゆるんでしまいそうに、、、、、



とその時、ハッとしたんです。



というより感動のお裾分けを

もらいかけた自分にゾーッとしたんです。

大きな危険を感じたのです。



生徒達は、

しばしば鉄拳をふるった教師との関係を

感動付フィナーレで卒業してゆくのです。



彼らは、

そんな経験を胸深く受け止めています。

「時と場合によっては、体罰は必要なんだ」と。



こんな理解をした15才のこの子たちを、

この先生は「感動」と言うおまけ付きで

毎回、大量に送り出している。



「例外」を認めることは、

暴力を条件付で肯定すると言うことである。



「一人前の大工になるには、

  棟梁の鉄拳の痛みで覚えるんだ」



「スポーツは根性だ!

  殴られてもケツをわるな!」



「あのときオヤジに殴られたおかげで

   今の自分があるんだ」



「金メダルを取れたのは、

  あのコーチの愛のムチのおかげだ」




この国の雄弁者達は、

あまりにも「愛のムチ」を

美化する能力がありすぎたのだ。



この国の教育者たちは、

「感動」「しつけ」「愛」などを教えるため、

あまりにも「愛のムチ」をつかいすぎているのだ。



そして、今宵もまたどこかの居酒屋で

  「俺ら、子どものころ悪いことしたら

   先生にどつかれるんあたりまえやったよなあ。

   親に言うたら、またどつかれるから

   絶対に親に言わんかったよなあ。

   今は、親が学校に文句言うて来るらしいもんなあ。

   けったいな時代になったもんや」



 こんな会話の中にも

体罰肯定」が潜んでいるし、

撒き散らしています。




「すべての暴力は、『NO』であり、『例外』はない」
              by ニシグチ



「駄目なものは駄目で、論理なんていらない」
             by桑田真澄