『監視カメラ』

「監視カメラ」は、いい人を育てる!



なんのこっちゃ?とお思いでしょうが、
まあ、ニシグチの提案にお付き合い下さい。
毎度ですが、かなり理屈っぽい「それなり考」になりそうです。



子どもの頃、オトナからわかった風な説教をされた記憶がある。



「誰も見ていないと思ったら大間違いだ。
 神様は、お見通しだ。
 誰も見ていないと思っても、悪いことをしちゃダメだ!」



神様が「お天道様」や、
「お星様になった大好きだったおじいちゃん」だったりする。
又、悪いことが「マナー違反」や「ずるいこと」だったりする。



いずれにしても、
「誰にもばれないと思っても
何者か(神様やお天道様)に見られているから、
悪いことをしちゃいかんよ」と言うことだ。



この論法が、残念ながら悪事をさせない教育の
有効な手段だったのです。




なぜ「残念ながら」と申しますと、
何者かに見られてようが、いまいが、
ダメなことはダメでありまして、
お天道様も神様も関係ないはずなんです。



しかしながら、説教されている子どもも
説教しているオトナも、
「何者かに見られているから悪事はダメよ」
で納得しているのが現実なんです。



そう言うニシグチも、
若い頃、タバコのポイ捨て犯罪を
たびたび犯しています。



あたりに誰もいないのを瞬時に確認して、
「ポイ捨て」をしていました。



そんなニシグチだからこそ、画期的な考え方を
編み出したんです。



「町中に溢れている監視カメラ」の活用です。



近年、特に都会では 
道路、街角、ビル内、銀行のATM、コンビニ、警察のNシステム、
住宅玄関先の防犯カメラ、ゴミ収集場所、公園 
などなど書き出したらキリがないほど
町中に監視カメラが溢れています。



神様でもお天道様でもなく、
証拠の残る監視カメラが
全ての場所に行き渡っているのです。



と言うことは、「監視カメラがあるから止めよう」とか
「ここはカメラが設置されていないから、少しぐらいは、、、」とかで
判断する事は、至難の業です。



それより
「いつでもどこでも、どんな情況でも、悪いことをしない」
そんな自分を造ってしまう方が、
楽であり、手っ取り早い解決方法だと
気づくことなんです。



監視カメラには、プライバシーの事など
色々と負の問題もありますが、どうせなら、
こんな考え方でみんな「いい人になる」
ってのも悪くはないような気がするのですが、、、、