『戦後は終わっていない』

ニシグチ、生まれも育ちも現在も大阪市住吉区です。
たぶん父方を数百年さかのぼってもこの地がルーツだと思います。



そんな事で町の墓地委員会の隅っこに名を連ねております。



先日、その委員会で戦没者慰霊碑についての議題で会合がありました。
ひとしきり、決めごとが終わって雑談の時です。



80才の墓地管理委員長の話。
「駄菓子屋の○○おじいちゃん知ってるやろ。
 何十年も朝から晩まで身体揺すって、
 ぶつぶつなんやらしゃべってるわな。
 みんなへんなオヤジやと思とったやろ。
 ちがうねんで。
 あの人は、この村で1番の秀才やったんや。
 戦争から帰ってきておかしなったんや。
 まあ、戦争の後遺症やな。
 よっぽど怖い思いしたんやろな」



この話、ニシグチにいにしえの出来事を思い出させ、
大きなショックを与えました。



ニシグチ、この地に生まれ住んで57年
父が早く無くなったからかも知れないが、
このこと、全く知らなかった。



しかも、知らなかったからでは
済まされないことをしているんです。



45年ぶりのカミングアウトです。



小学校の時です。
ニシグチを含めた悪ガキ数名で
そのころ40才ぐらいだったその駄菓子屋のおっちゃんに
『シュ〜〜ウゥ〜〜、、、ドォ〜〜ン〜、、、、』と
口マネをして、はやし立てていたんです。



なんで『シュ〜〜ウゥ〜〜、、、ドォ〜〜ン〜、、、、』なのか?
はずかしながら、45年かかってわかりました。



それは、戦地での爆発音だったんです。



おっちゃんはいつも『シュ〜〜ウゥ〜〜、、、ドォ〜〜ン〜、、、、』のあと
頭を両腕でかかえて身体を揺すっていたんです。



今で言うPTSDで苦しんでいたんです。
家族の皆さんも幾度と無く
悔しい思いをしていたはずです。



反戦」この2文字が、
今さらながらニシグチにとって重たい言葉です。



ニシグチ、残りの人生でささやかでも、何か出来るはず!
そんな気持ちにさせられた墓地委員会でした。
 



 やっぱり戦後はまだ、終わっていません。