加齢なる幸せ

ニシグチの哲学に
「『幸せ』とは『成る』ものではなく『気づく』ものである」
                      ってのがある。



哲学って大きく言っちゃんたんですが、
ニシグチにはそれなりに哲学なんです。



つい先日も、またひとつ「加齢なる(華麗ではない)幸せ」に気づきました。



気づきの場所は、映画館でした。



若い頃から「イラチ」(標準語では「せっかち」?でも「イラチ」がぴんと来る)
な性格のニシグチは、
映画が終わるとすぐに席をたって次の行動に。



しかしながら、最近のニシグチ、
エンドロール中余韻に浸っています。



この前の映画では、前の席の老夫婦が、
館内が明るくなってもまだ感動に浸って、
まだ席を離れようとしないのだ。



まわりを見渡すとニシグチより年配の人たちが
結構多く感動を持続させているのである。



ただ、年寄りだから行動がゆっくりなんだ。
と言う見方もないではないが、
ニシグチには、感動が続いているようにしか、
見えないのである。



自分がボチボチそうなりつつ在るように、
人間、齢を重ねてくると感動が
長続きするように、DNA的に組み込まれている
としか思えないのである。



旅をする。
本を読む。
映画を見る。
人と出会う。



ゆっくり味わって、なが〜く感動する。



そう思うと、歳をとるってまんざら悪くないかも。
「加齢なる(華麗ではない)幸せ」ひとつ、みぃ〜つけた!