『一つの考え方』

人と人との関係は、いろんな形がある。



その中で、ニシグチにとって大変心地よいのは、
その人が私を尊敬した態度で接してくれる関係である。



言葉遣いも敬語で、なによりも自分のことより、
ニシグチを立ててくれるよう気配りしてくれる人です。


しかしながら、時として、その人が変わってしまうこともあります。


今まで敬語で話してくれた人がため口なったり、
ニシグチの考え方に注文を付けてきたりするわけである。


特に、今までならまず誘いを断らなかったのに
このごろ断られるようになってきた、なんてときもある。



そんな時、多くの人や以前のニシグチは、
「あいつは変わってしまった」
「裏切られた」
「偉くなりやがった」
どちらかというと否定的にその人を判断してしまう。



こんな経験は、誰しも少なからずあると思います。



あまりうれしくない経験だからこそ、
ニシグチ的にしっかりと検証することにしました。



結果、ある『一つの考え方』を見つけたのです。



こう見えてもニシグチは人に気を遣うタイプなんです。
 (「オマエが気を遣うタイプなわけないやろ」聞こえてきそうですが、、、)
やっぱりニシグチは、気兼ねも遠慮も人見知りもします。
お誘いにもなかなかノーと言えない性格なんです



でも、時にはこの人とは対等でおつき合いしたい。
ずっと、上下関係のままだったらかえって長続きしない。
というより、本音は対等意識があるのに、
お世辞ばっかり言っていたのではその人に失礼だ。


って時に、勇気を振り絞って言葉遣いや態度を
フレンドリーにもっていく事がある。



と言うことは、
こんどはニシグチに対して
急に態度を変えたきた人は、



「あいつは変わってしまった」
「裏切られた」
「偉くなりやがった」わけではなく、



勇気を出して元々の自分らしさで
つき合いしようとしてくれているのだ。



これが、最近見つけた『一つの考え方』です。



現実は、多少違うかも知れません。
しかし、この『一つの考え方』で
ニシグチの心が穏やかでおれる事は、
間違いのない現実です。



「あいつは変わってしまった」→「彼らしさが出てきたなあ」
「裏切られた」       →「もともと縁がなかったんだ」
「偉くなりやがった」    →「勇気を出せてよかったね」