スーパーそれなり考

『人に対する怒り・不満は、「病」の原因になる
    社会に対してのそれは「エネルギー」になる』

このことをニシグチの流儀で、理屈っぽく、
解き明かしてみたいと思います。



お世辞にも精神レベルが高いとは言えないニシグチです。
ゆえに人に対しての不満や怒りは、
この齢になってもたびたびやってきます。
たぶん、一生 つき合っていかねばならん感情だと思います。



その感情がやってきた時の自分の心の状態を見ると
「非常に不快」です。いわゆる「ストレス」を感じます。
そして「病」の原因にもなります。



ってことがわかっていても、
たびたびやってくる不満や怒りをコントロールできません。



一方、社会に対してのそれはどうでしょう。
社会派の活動家はもちろん、ニシグチぐらいの社会認識の人間でも
「この制度は、けしからん。もっと弱者の側にたった福祉制度を」
なんて思うことがよくあります。
そんな時、「社会に対して、政治に対しての怒りや不満」
又は「憂い」などがあっても決して不幸な心の状態ではないのです。



それどころか、積極的に社会をよくしようと
生き生きと行動している人が多くいます。
ささやかながらニシグチも「もっと市民の側に立った葬儀を」と
NPO活動している時が、一番充実感を覚えます。




少し話変わって、(実は変わらないのですが、、、)
人は世界中で自由に動かせることが出来るのは、自分だけです。
(特に、子供や妻は非常にやっかいである)



他人に対する不満や怒りは、どうあがいても
思い通りに動かせないので「怒り」や「不満」を
絶対に解決することが出来ないのです。



これがストレスになり「病」の原因になる所以です。



一方、自分はと言えば、
当たり前ですが、社会の一員です。
いわゆる、社会に参加しているんです。



と言うことは、社会に対する怒り・不満は、
自分にも向いているんです。



自分が参加している社会だからこそ、
いいように改革してゆくことに参加出来るのです。



「罪を憎んで人を憎まず」に、
     ニシグチも少〜し近づけた様な気が、、、、?